【運命の終焉】モディリアーニの生涯と妻ジャンヌとの絆

「アメデオ・クレメンテ・モディリアーニ」イメージ ブログ
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【外国人洋画】イタリア出身のエコール・ド・パリの画家のひとり。モディリアーニも、ゴッホ同様、生前にはあまり評価されず、貧困の中で生活をしてました。30歳頃まで彫刻を手掛け、画家として本格的に活動したのは35歳。しかし健康を害し、1920年その35歳の若さで亡くなりました。創作期間はわずか約5年間でした。

アフリカ彫刻やルネサンス美術からの影響を受け

長い手足、アーモンド型の目、湾曲した鼻が特徴で、アフリカの仮面をはじめとする彫刻の影響が、妻で画家のジャンヌ・エビュテルヌを含む彼の被写体の描写に顕著に表れています。「私が探しているのは現実でも非現実でもなく、潜在意識、つまり人類に本能的に備わっているものの謎だ」と語っています。(Artnetより

若い頃から芸術に興味を持ち、リヴォルノの美術学校に通い、その後フィレンツェやヴェネツィアのアカデミーで美術を学びました。

パリでの活動

パリへの移住

1906年、22歳のモディリアーニは芸術の中心地であったパリに移住。ここで彼は多くの芸術家と交流し、特にキュビズムやエコール・ド・パリの影響を受けました。

モンマルトルとモンパルナス

モンマルトルとモンパルナスの芸術コミュニティに深く関わり、パブロ・ピカソ、ジャン・コクトーなどの著名な芸術家と友好関係を築きました。

晩年と死

健康問題

しかし、モディリアーニは生涯を通じて健康問題に悩まされ、特に結核が深刻でした。また、アルコールや薬物の乱用も彼の健康を蝕みました。

1920年、モディリアーニは結核性髄膜炎のためパリで36歳で亡くなりました。そして彼の死後、内縁の妻であったジャンヌ・エビュテルヌはショックから後を追って自殺。この時、妊娠9ヶ月でした。

市場と評価

では、そんなモディリアーニの現在の「市場と評価」ですが・・・

モディリアーニ作品に関しては、やはり海外大手オークションが主流で、国内のアート市場で出品されることは稀です。(ギャラリーボヤージュより

またSotheby’sによりますと、モディリアーニの生涯は短く、芸術作品の制作期間も限られていたため、非常に人気の高い芸術家であり、その結果、市場全体的は好調。複利年間収益率は8.2%で、作品の91.7%の価値が上昇していますとのこと。

おわりに

アルコール依存症の悪化、結核の合併症により、35歳で亡くなったモディリアーニ。内縁の妻だったジャンヌも死の2日後、後を追ったというのもあまりにも悲劇的でびっくりしました。なお2人の墓石は、はじめは彼女の自殺はモディリアーニのせいだとした、ジャンヌ側の遺族の反対がありましたが、やがて10年後になって、パリのペール・ラシェーズ墓地に、現在いっしょに埋葬されているそうです。

ちなみに…
そのモディリアーニを扱った映画で有名なのが、ジェラール・フィリップがモディリアーニを演じたフランス映画「モンパルナスの灯」(1958年)(Wikipediaより)があまりにも有名です。またアンディ・ガルシアがモディリアーニを演じた「モディリアーニ 真実の愛」(2004年)(Wikipediaより)もあります。タイトル通りこちらもジャンヌとの絆が描かれ、ピカソとのライバル関係にも焦点を当てています。

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